4月5日放送の『爆報!THE フライデー』で、かつてヒット曲を連発し、紅白歌合戦に7年連続で出場した伝説の演歌歌手である桂銀淑(ケイウンスク)さんが取り上げられます。
「すずめの涙」「花のように鳥のように」「ベサメムーチョ」「夢おんな」などの名曲を生み出し、突如テレビから消えた桂銀淑さんですが、今の20代や30代の方にはあまり馴染みのない方かもしれません。
当記事では、演歌歌手として輝かしい功績を残しつつもメディアから消え去った桂銀淑さんのプロフィールや彼女の近況をまとめるともに、今の若い世代の方にも聞いてほしい名曲をYouTube動画を引用して載せておきましたのでぜひ御覧ください。
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もくじ
桂銀淑(ケイウンスク)さんのプロフィール
引用:ヤフオク
- 名前(漢字):桂 銀淑(ケイ ウンスク)
- 名前(ハングル):계은숙
- 誕生日:1961年7月28日(2019年4月現在57歳)
- 出身地:大韓民国(韓国・ソウル市永東)
- 身長:160cm
- 体重:47.5kg
- 血液型:B型
- 学歴:韓国・天戸商業高校卒業
- 職業:演歌歌手
- ジャンル:演歌・歌謡曲
- 活動期間:1985年~現在
- 事務所:第一プロダクション
桂銀淑さんは韓国出身の演歌歌手で、独特なハスキーボイスが特徴的です。
1977年の高校生のときに韓国でモデルとしてデビューしてCMなどに出演後、1979年には歌手としてもデビューし、アイドル歌手として人気を得ていきました。
そして中国出身の作曲家・浜圭介さんにその才能を見出され、1984年に初来日します。
浜圭介さんのレッスンのもと、1985年に「大阪暮色」を発表して日本でも歌手デビューを果たしました。
それ以降、「すずめの涙」「花のように鳥のように」「ベサメムーチョ」「夢おんな」などのヒット曲を連発し、日本有線大賞や日本レコード大賞、日本歌謡大賞などの数々の賞を総ナメにします。
桂銀淑さんは演歌歌手でありながら”ド演歌”という感じではなくて、歌謡曲やバラード調のものが多く、それが多くの人に受け入れられてヒットした要因かもしれません。
1996年には所属していたレコード会社から独立し、コンサートツアーを敢行した桂銀淑さんでしたが、2001年に突如テレビやラジオから姿を消し、コンサート活動に専念するようになりました。
「テレビに疲れた。コンサートで直接ファンの皆さんと触れ合っていきたい。」
そう発言していたものの、納得にいくコンサート活動をするための制作費がかさんで赤字が続いていたためコンサートの本数は減っていきました。
またそれにより多額の借金を抱えていたため、当時の所属プロダクションであったタイガーエンタープライズとの裁判にまで発展してしまいました。
裁判や離婚、うつ病、更年期障害に苦しんだ桂銀淑さんでしたが、2006年に和解が成立した後は再度テレビに復帰し、本格的に音楽活動を再開しました。
しかし2007年11月、音楽界に復帰して順調に思えたのもつかの間、覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕されてしまいます。
2008年には日本当局がビザの発給を拒否したため、韓国へ国外退去処分となり、8月2日に生まれ育った国へ帰国することになりました。
その後は韓国で音楽活動を再開し、ディナーショーなどには日本からもファンが訪れるほど根強い人気を誇っていましたが、2016年には再度の覚醒剤使用の疑いと詐欺容疑で有罪判決を受けて懲役1年2ヶ月が確定し、刑に服することとなりました。
同年8月末には満期出所したあとも、韓国で音楽活動を続けてファンとの交流を深めています。
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桂銀淑さんは今現在どうしている?
歌手の桂銀淑被告に実刑 覚醒剤使用で韓国地裁
https://t.co/MBwo08zdd1 pic.twitter.com/bnceTBGvnv— 産経ニュース (@Sankei_news) November 20, 2015
10年以上前に日本を去り、韓国へ帰国された桂銀淑さんの「今」を知る人は多くありません。
ただ調べているうちに気になる記事がありましたので引用します。
覚醒剤事件で日本を追われ、昨年また故郷で覚醒剤に手を出し有罪判決を受けた韓流歌手・桂銀淑(ケイ・ウンスク=54)の落ちぶれようが分かった。判決前の桂と韓国で会った関係者が本紙に明かしたもので、その風貌はまるで「おばあさん」。怪しげな商売をする腐れ縁の男にすがり、本人は「お金がない」と漏らしていたという。
<引用:東スポWeb>
2016年3月の記事ですが、昔はとても綺麗だった桂銀淑さんは今や「おばあさん」と表現されてしまうほど老けてしまっているようです。
「今はホントに昔の顔じゃないんです。ちょっと不自然でした。韓国は整形大国だから、たぶんいろいろしたのかも。ヒアルロン酸とか注射をたくさん打ったりね。あと、これはクスリの影響だと思うけど、ちょっと目が出てました。クスリをたくさんやった人って、目がどんどん出てきちゃうから…」
<引用:東スポWeb>
韓国に帰国し、整形手術だけでなくクスリなどにも手を出してしまった可能性があるようです。
「今は何もしておらずお金もない」と漏らしていたとも書かれており、いつも一緒にいる中年の男性に養ってもらっている様子とのことでした。
ただ「一世を風靡した元トップ歌手の品格はあった」という。
「身ぶりに品があるというか、普通の人ではないですよね。デヴィ夫人やサッチー(野村沙知代氏)みたいな感じ? もちろんそこまで年はいってませんが、なんとなくそんな態度ってあるじゃないですか。“私は桂銀淑よ”みたいな。そんな印象を受けましたね」
<引用:東スポWeb>
落ちぶれていても、かつて一流歌手として芸能界のトップを走り続けた品格は健在のようです。
しかしながら2017年には、借りたお金を返済しなかったという詐欺疑惑で再度訴えられており、その後どうなったかは情報が少なくわかっていません。
4月5日放送の『爆報!THE フライデー』が、ソウルまで桂銀淑さんを訪ねて彼女の”今”を明らかにしたそうですので、放送を待ちましょう。
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桂銀淑(ケイウンスク)さんの楽曲・名曲まとめ【YouTube】
大阪暮色(1985年)
「大阪暮色」(おおさかぼしょく)は、1985年7月20日に発売された桂銀淑の日本におけるデビューシングルです。
すずめの女(1987年)
「すずめの涙」は、1987年4月22日に発売された2ndシングルです。
『第39回NHK紅白歌合戦』に初出場した際にも歌われた曲ですね。
オリコンシングル・チャート100位内に47週もランクインした大ヒット曲です。
夢おんな(1988年)
「螺旋階段 昇る靴音で~」で印象的な4thシングルです。
酔いどれて(1989年)
桂銀淑の5thシングルで、オリコンシングルチャート100位以内に31週ランクインし、第31回日本レコード大賞金賞をはじめ、数々の賞を受賞しました。
また『第40回NHK紅白歌合戦』に出場した際にも歌われました。
真夜中のシャワー(1990年)
桂銀淑の7thシングルで、サビの部分で「FEELING」という歌詞が繰り返されるポップス調の楽曲です。
オリコンシングルチャート100位内に33週ランクインし、多くの賞を受賞しました。
本当にこの頃はシングルを発表するたびに大ヒットしていましたし、なにかしら受賞していました。
花のように鳥のように(1994年)
桂銀淑の12枚めのシングルで、コンサートやディナーショーで必ず歌う曲となっています。
ドラマ『婚姻関係』の主題歌に起用され、第36回日本レコード大賞において優秀賞と作詞賞を受賞しています。
また『第45回NHK紅白歌合戦』に出場の際にも歌われた曲です。
ベサメムーチョ(1995年)
桂銀淑の13枚目のシングルで、ラテン調のリズムが軽快な曲です。 オリコン
シングルチャートでは100位内に24週ランクインし、第28回全日本有線放送大賞でベストリクエスト賞を受賞しました。
北空港(1987年・浜圭介とのデュエット曲)
『北空港』は、1987年11月5日に発売された浜圭介と桂銀淑の初のデュエット曲です。
デュエットソングの定番となり、発売から20年以上経ってもカラオケランキングで上位をキープしていたほどの名曲です。
ちなみに楽曲の舞台は札幌の夜で、北の空港から旅立つ男女の恋を歌っています。
都会の天使たち(1992年・堀内孝雄とのデュエット曲)
『都会の天使たち』は、1992年3月11日に発売された堀内孝雄と桂銀淑のデュエット曲です。
ドラマ『はぐれ刑事純情派』の主題歌に起用され、オリコンシングルチャートでは100位内に44週ランクインするロングヒットとなりました。
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桂銀淑さんまとめ

以上、桂銀淑さんについてプロフィールや楽曲などをまとめました。
古き良き昭和の香りがしつつも、どこか心に響く、色褪せなさがありますよね。
今聞いてもつい聞き入ってしまう楽曲ばかりだと思います。
もう日本に来ることは無いかもしれませんが、韓国でも元気で歌い続けていっていただきたいですね。
それではここまでお読みいただきありがとうございました!
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