政治

菅義偉官房長官の生い立ちや経歴、総務大臣時代などのプロフィールまとめ【新元号発表】

2019年4月1日(月)11時30分より、菅義偉官房長官が記者会見を開き、平成に代わる新元号を発表します。

菅義偉官房長官は2012年から長きにわたって内閣官房長官を務めており、政治に明るくない方でもその姿や名前を見聞きしたことのある方は多いと思います。

当記事では、新元号発表を行う重要人物であるこの菅義偉官房長官に着目し、その人物像をわかりやすくまとめます。

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菅義偉官房長官のプロフィール

  • 名前:菅 義偉(すが よしひで)
  • 誕生日:1948年12月6日(2019年4月現在70歳)
  • 出身地:秋田県雄勝郡雄勝町(現:湯沢市)
  • 出身校:法政大学法学部政治学科
  • 前職:段ボール工場作業員、建電設備株式会社社員、衆議院議員小此木彦三郎秘書、横浜市会議員
  • 現職:衆議院議員、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣
  • 所属:自由民主党(無派閥)
  • 称号:法学士(法政大学・1973年)
  • 在任期間:2012年12月26日~(現職)

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菅義偉官房長官の生い立ちと経歴

菅義偉さんは秋田県雄勝郡秋ノ宮村に長男として生まれ、兄弟は姉2人、弟1人の6人家族でした。

中学生・高校生時代は特に目立った成績ではなかったそうで、高校卒業後は教員にはなりたくなく、父から勧められた進学も断り、「なにかが変わるはず」と夢を見て集団就職で上京しました。

「北海道教育大を受験した」という噂がありましたが、菅義偉さん自身「その事実はまったくありません」と否定しています。

上京した菅義偉さんの「なにかが変わるはず」という夢もむなしく、秋田にいた頃と変わらぬ日々を板橋区にあるダンボール工場で過ごし、自身の考えを改め直して大学進学を決めます。

そして上京から2年後、法政大学法学部政治科へ進学しましたが、法政大学への進学の理由は特に法政大学や政治に興味があったわけではなく、ただただ「一番学費が安かったから」とのことです。

菅義偉さんも若い頃は進路にお金に困っていたのですね。

菅義偉さんが政治に興味を持ち始めたのは、なんと大学を卒業してからでした。

1975年、法政大学就職課より第57代衆議院議長中村梅吉秘書を紹介され、同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となり、それから11年にわたって秘書を務めました。

1987年には横浜市会議員選挙に出馬して初当選し、横浜市政に多大な影響力を持っていた小此木彦三郎の死後もその代役として秘書時代の手腕を振るい、「影の横浜市長」と呼ばれていたそうです。

1996年には第41回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選します。

2005年、竹中平蔵総務大臣の下、総務副大臣(情報通信、郵政担当)として総務省内部統制のトップを任され、事実上人事権なども行使していきます。

その次の年、2006年には総務大臣となり、年金記録問題の検証を担当したり、再チャレンジ支援議員連盟の立ち上げに参加したりと活躍し、2007年の麻生内閣発足後は麻生総理大臣の側近として低支持率にあえぐ政権を支えていきます。

そして2012年12月、第2次安倍内閣の発足に伴って内閣官房長官に任命されてからはさらにその政治活動に磨きがかかっていきます。

就任翌年の2013年、郵政民営化の考えにそぐわないとして日本郵政社長の坂篤郎を就任からたった6か月で退任させ、顧問職からも解任させました。

また同年のアルジェリア人質事件では「政府としてあらためて人命救出優先で対応したい」とした上で、防衛省の反対を押し切って日本国専用機の派遣を行いました。

2016年7月7日、内閣官房長官の在職期間が1,290日となり、在職日数歴代1位を記録しています。

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